べートーヴェンという神

極言すればクラッシック音楽は、バッハ、モーツアルトベートーヴェンの3人がいればいいと思う。この3人はいずれもが、それぞれ類例のない音楽宇宙を構築した人で、他の追従を許さない唯一無二の存在である。ベートーヴェン以降の音楽家達は、恐らく例外なくこの3人の誰かもしくはこの3人全てから何らか影響を受けながら音楽家の道を歩んだに違いない。宗教曲が多いせいか、私の中ではバッハはやや近寄りがたい存在のため、モーツアルトベートーヴェンが双璧になっている。だがモーツアルトベートーヴェンの音楽は随分違う。モーツアルトの音楽を評して「透明感のある哀しみ」と言った人がいるが、実に名言だと思う。映画「アマデウス」の中で、サリエリモーツアルトの妻からモーツアルトの書いた楽譜を受け取り、目にした瞬間「これは天使の音楽だ」とその出来栄えに驚愕し、思わず手にした楽譜を取り落とすという場面があったが、いみじくもここに描かれたように、モーツアルトの音楽は天上の音楽だと思う。それに対し、べートーヴェンの音楽は地上の音楽である。そこには苦悩と戦いがあり、そして戦いの後の勝利と歓喜がある。そこには人生そのものがある。モーツアルトには癒しがあり、べートーヴェンには鼓舞があるのである。

 

中学時代、私にはベートーヴェンが神であった。ベートーヴェンが神になったきっかけは、あの「運命」というタイトルで有名な第五シンフォニーであった。たまたま家にあった父親のレコードの中にトスカニーニ指揮の第五シンフォニーがあり、それを聴いたのがきっかけで、それまでチャイコフスキーの「白鳥の湖」の情景や「スラブ行進曲」など、心を惹かれた曲がいくつかあったが、それらはいずれも運動会や放課後に校庭に流れていたもので、バックグランドとして耳に流れてきたものに過ぎなかった。中学に入り自ら能動的にレコードを聴くようになり、そこでベートーヴェンの第五シンフォニーに出会う事になる。自らレコードを聴くようになって最初に感銘を受けた曲は、確かメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトであったと思うが、あの有名な出だしに魅せられ、それですっかりクラッシック音楽ファンなる。その後いろいろ曲を聴くようになるが、べートーヴェンの曲との最初の出会いは第五ピアノコンチェルトであったように思うが、そこでべートーヴェンの魅力に取りつかれるが、その後第五シンフォニーを聴く事になり、その第五シンフォニーにそれまでとは次元の異なる圧倒的感動を覚える事になる。この曲は全楽章全てが素晴らしい曲なのだが、特に第一楽章最後の畳みかけるように盛り上りの部分や、連続して演奏される第三楽章から第四楽章にかけてのクレッシェンドとその後に続く歓喜の咆哮が素晴らしく、その箇所にさしかかる度に心をかきむしるような感動を覚え、何度も拳を震わせたものである。この「運命」と呼ばれる曲は、実はあの有名な冒頭のダダダダーンという四つの音のいわば変奏で全てが成り立っているという奇跡的な曲で、そうでありながら各楽章それぞれが秀逸な音楽に仕上がっていて、数あるシンフォニーの中でも最も完成度の高いと云われるシンフォニーになっている。中学時代繰り返し聴いていた事で、ほぼ全曲そらんじる事ができる程になっており、いい加減卒業してもいい曲だろうと、しばし聴かないでいた時期があったが、間を置いて聴きなおしみて驚いた。意外や新たな感動を覚えてしまったのである。その時、やはりこの曲は只者でないと思った。映画でも小説でも、本物は何度見ても何度読み返しても、その都度感銘を受けるものであるが、「運命」という曲はそういう曲で、やはり本物の名曲なのである。ちなみにチャイコフスキーのシンフォニーなどは、名曲と言われる四番も五番も六番も、正直2、3度聴くともういいという気になる。でもベートーヴェンの曲にはそれがないのである。ほぼあのダダダダーンという四つの音のみで成立していながら、聴く都度人に感動を与えてしまうこの曲に、音楽の不思議を感じてしまうのである。

第五シンフォニーを聴くことで、私の中にべートーヴェンの神格化が始まるのだが、神格化に決定的影響を与えたのは、実はその後に聴いたバイオリンコンチェルトであった。今もってその時の情景をはっきり思い出す事ができるが、廊下の陽だまりにプレイヤーを置き、友人に借りたべートーヴェンのバイオリンコンチェルトのレコードを聴き始め、冒頭のティンパニー4連打でもう既に感動的なのだが、やがて第一楽章のテーマが始まると感動のあまり涙が留めなく溢れてきたのである。後にも先にも音楽を聴いて、いや音楽のみならず本を読んだり映画を見たりした経験を含め、そこまで感動の涙を流した事などなかったので、その時の感動体験は今も強烈な印象として残っている。これによりべートーヴェンはほぼ神になるのだが、同時にこの時以来、音楽つまり音の連なりが何故人をここまで感動させるものなのかと、ほぼ形而上学的と云っていい程の興味を音楽に持つようになる。その後べートーヴェンの神格化をダメ押しする曲に出会う。それは「英雄」とも呼ばれている第三シンフォニーの中の第二楽章の葬送行進曲である。その曲を初めて聴いたのは確かラジオだったと思うが、葬その曲が流れた瞬間言い知れぬ戦慄を覚えたのである。魂の慟哭のようなその曲に、肺腑を抉るような感動を覚えたのである。そしてその時の体験を持ってベートーヴェンは私の中で神になってしまい、以降しばらく、べートーヴェンはその名を聞くだけで涙が流れてしまうような存在になってしまうのである。ちなみに葬送行進曲というと、私の中にもう一つワーグナーの「神々の黄昏」の中のジークフリードの葬送行進曲があるが、私は、この2曲はクラッシック音楽の中の白眉だと思っている。