インバウンドに思う2!!

インバウンドの当面の目標は、2020年に訪日者4000万人、金額8兆円だという。達成の見通しは明るかったものの、ここにきて文政権との関係悪化から大口客たる韓国からの訪日者が大幅に減少し始めてきているようで、予断を許さない状況を迎えている。ところで私は昔から、日本は観光大国たる国だと思っていた。何故なら、日本は他にあまり類例のない自然や文化を持った、見方によれば不思議な国だと思っていたからである。そしてそれ故、世界の人が感嘆するような要素を数多く持った国だと思っていたからである。

日本は国土の7割を山岳が占める山岳国家で、中部地方には3,000Mを超える峻険な高山がいくつも峰を連ねている。山の中腹は豊かな森林に覆われ、多くの滝や清らかな渓流が流れ、それらはやがていくつもの河川となって大海に流れ込んでいる。里山には清水が流れ、時にブナの原生林などが水を浄化し、世界的に珍しい生水を飲める国にもなっている。生い茂る樹木の種類も豊富で、例えば東京近郊にありながら高尾山には1,300種類以上もの植物が生息していると言われ、それ程広くないエリアにそれだけの種類の植物が生息している例は世界的にも珍しいようで、その事からミシュランガイドの三ツ星にも挙げられ、外国人にも人気の国際的自然名所になっている。このように日本は緑や水、即ち自然に恵まれた国なのである。ちなみに日本は山岳国家である同時に周囲を海に囲まれた海洋国家でもある。

日本列島は火山列島ゆえ、時に地震災害等を被るものの国土の津々浦々に温泉が湧き出ており、湯治場から温泉テーマパークまで様々な形態の温泉がひしめく温泉大国になっている。中でもむき出しの自然の中で湯に浸る野天風呂は、その生の自然との一体感が受け、日本人のみならず世界の人々から支持を受ける観光資源になっている。そういえば数年前乳頭温泉に行ってびっくりした。その先にあるものを知らずに車を走らせた場合、どこに行くのだろうかと不安になり引き返してしまうのが当たり前のような原生林の中の狭い道をひたすら走った先にある秘湯中の秘湯に、外国人が大勢訪れているのである。10数年前に訪れた時には外国人の姿など一人も見る事がなかったので、インバウンドの余波がこんな所にまで及んでいるのかと驚いたのである。外国人も、自然の中で温泉に浸るという風習には得も言われぬ魅力を感じてしまうもののようである。

自然という事で言うと、十年ほど前に春日大社伊勢神宮を巡ってみて気づいた事がある。それは有力神社には例外なく鳥居をくぐると巨木の連なる参道があり、その先にこれも樹木に囲まれた木造の本堂が建っているという事である。そう云えば日本は「木」が神であったり、「石」が神であったり、「滝」が神であったりする国で、日本の有力社寺はやや離れた位置から見るとその姿は森林に覆われた小山のようで、それは自然の中に神が宿るという日本的信仰の姿そのものである。パリのノートルダム寺院やケルンの大聖堂は鬱蒼たる森林の中には建っていない。西欧に於いて自然は征服すべき対象であり、自然を切り拓きそこに人工物を構築する事が自然征服の証であるが如く、そこにあるのは石造りの建物である。それに対し日本の一般家屋はすべからく木作りで、西欧が石の文化であるのに対し日本の文化は木の文化なのである。即ち自然と共生する文化なのである。日本の文化が自然と共生する文化である事の象徴に庭園がある。三大庭園と言われる「偕楽園」「 後楽園」「兼六園」はもとより、昨今日本的庭園美の代表として世界から高い評価を得ている「足立美術館」に至るまで、どれもが小高い山、森林、池、滝、渓流、そんな自然そのものを模倣した姿に作られている。それは西欧の庭園のシンメトリーで人工的な姿とは明らかに異なった姿である。さらには、日本固有の文化である能楽の舞台の背景には松の木が描かれているし、盆栽は木を主題にした芸術である。

日本の不思議に文字がある。日本には「漢字」「ひらがな」「カタカナ」と3種類の文字がある。何故文字が3種類もあるのかよく分からないが、地球上文字が3種類もある国は恐らく他になかろう。不思議である。また例えば、「雨がしとしと降っている」「川がとうとうと流れる」「げらげら笑う」「風がひゅうひゅう吹いている」等、独特の言い回しの擬声語や擬態語が数多くある。このような「しとしと」とか「とうとう」等という言葉は、果たしてどのように翻訳するのだろうかと、これも不思議である。さらに日本語は語彙が豊富で、例えば自分を表す言葉は英語ではI(アイ)のみなのに、日本語は「わたし」「俺」「わし」等いくつもあり、これもまた男女で異なるというように特異である。そう云えば日本語は男女で語尾の言い回しが違う。男性は「そうかな」とか「そうだ」「いいぞ」等というが、女性は「そうかしら」「そうよね」とか「いいわ」等という。また漢字の読み方に訓読みと音読みの2種類あるのもややこしい。このように日本語は実に表現の多様な言葉である。多様ついでに言えば、日本人の氏名の種類の多さにも驚く。漢字の本国である中国人の苗字の数はおよそ4千種類であるというが、日本人の苗字の数はなんとおよそ29万種類、名前の数に至っては40万種類あると言われ、中国の人口が14億人、日本の人口が1億3千万人という事から考えると、これは驚くべき数字である。

また文法的にも特異だ。世界の大半の言葉は例えば英語でいうと、I go・・(私は行く)あるいはI don't go・・(私は行かない)の如く、主語に続いて動詞がくる。肯定か否定かがすぐ分かる言葉なのであるが、日本語は(私は〇〇と××頃に△△に行く)あるいは(私は〇〇と××頃に△△に行かない)等と動詞が最後にくる。即ち最後まで聞かないと肯定か否定かが分からない言語なのである。まどろっこしいというか、つくづく翻訳や通訳の難しい言葉だと思う。考えてみれば、このような特異な言語を創作した日本人は実に不思議な民族だと思う。

多様という事で言えば、八百万の神の国ゆえであろうか、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、正月には神社に出向き、時に教会で結婚式を挙げ、人が死ぬと仏式で葬式を挙げるというように、日本人はいくつかの異なる宗教の様式を何の疑問もなく生活の中に取り入れている。一神教の国から見れば無節操極まりないとも言えるこのような生活様式は、単に宗教に無関心である事の表れに過ぎないのかも知れないが、見方によれば宗教において多様であるとも言える。また食の世界も多様で、常々日本は世界中のあらゆる料理が揃っている珍しい国ではないかと思っているのだが、不思議なのは、例えば朝はパスタ(イタリア料理)、お昼はカレー(インド料理)、夜は酢豚(中華)等と、世界の様々な国の料理が何の不思議もなく当たり前のように家庭の食卓に上る事である。どの国にもそれなりに外国料理の専門店はあろうが、一般の家庭の中に様々な国の料理が当たり前のように次々に食卓に上る国はそうはないような気がする。ちなみに日本は、ミシェランの星マーク獲得店の数が本国フランスのそれを上回るというグルメ大国でもある。

多様性を生むのは恐らく価値に対する柔軟な精神であろうが、日本人は先の宗教様式や食文化の例に見られる如く、そもそも中国のものであった漢字を日本語という独自な言語体系にアレンジしてみたり、西欧の国家体制を模倣しながらも明治という独自な国家を作り上げてみたりと、良いと思うものであれば外部のものを抵抗なく取り入れ、場合によっては別物に仕上げてしまう不思議な能力を持っているようである。そう云えば食の世界においてそうで、ラーメンはそもそも中国のものであったし、トンカツは西欧のカツレツから発したものである。見方によっては日本人が相当貪欲な民族であるという事にもなるが、この事は日本人は一神教を信奉するセム系やアーリア系のような原理主義的民族と異なる、その対極にあるとも言えるいわば情緒的民族である事を意味しているような気もする。要するに原理主義的でない分、価値に対して柔軟だという事である。また日本人は礼儀正しいとか人に親切だとか言われるが、情緒的であるゆえ他人に対して親切であったり礼儀正しかったりするのではなかろうか。

ところで日本文化の背景の一つに「四季」があるような気がする。四季は例えば自然の中に、春の淡い緑、夏の濃い緑、秋の錦織、冬の雪景色など彩の変化をもたらしてくれる。そして日本の四季は、樹木が多様な分もたらされる彩も多彩で、同じ新緑の中に濃淡のグラデーションが見られたり、紅色や黄色を基調の錦繍の中に絵の具を垂らしたような緑が点在していたりと、多様な自然にさらなる多様性をもたらしてくれている。枕草子は「春は曙、ようよう白くなりゆく山際少し明かりて、・・・・」と、四季の自然の様相の変化を詩的かつ絵画的に表現しているが、長い間豊かな四季の自然の中で生活を営んできた日本人は、やがて文化の中にも四季の精神を取り入れるようになり、季語を重要な要素とする俳句や季節により微妙に所作の異なる茶道などを生む事になる。さらには西陣織や有田焼など、織物や陶器など工芸の世界の中にも彩として四季は取り入れられていくようになっていく。

司馬遼太郎は確か、明治維新の成功は江戸時代に培われた多様性による所が大きいと言っていたように思うが、江戸時代にはおよそ270の藩があり、それら藩がそれぞれ中央集権国家にはない独自の国家体制を敷いていた。その事から例えば、南部、会津、加賀、土佐、長州、佐賀、肥後、薩摩などのように、異質な文化を持つ藩がそれぞれ各地に育ち、幕末には、佐賀藩のような独自に産業革命を成し遂げる事で自前の蒸気船やアームストロング砲等を持つ藩までが誕生するようになっており、いわば官軍側がその力を利用する事で速やかに維新を成し遂げたように、藩の様相は多様であった。そしてそれら藩が培った文化は廃藩置県後も、「工芸品」や「祭り」「食」などの郷土文化として、奈良飛鳥もしくは平安時代の遺産である東大寺法隆寺伊勢神宮出雲大社などの社寺や、戦国時代の名残である熊本城や姫路城などの城郭などと共に、日本人のみならず外国人の心を惹きつける観光資源として残っている。また決して広くない国土の中、北の北海道には良質な雪で世界的に評価の高いウィンターリゾートがある一方、南の沖縄には世界有数な珊瑚礁を持つマリーンリゾートがあるというように、日本は観光資源においても多様なのである。

日本には、日頃あまり自覚する事はないものの世界一のものがいくつかある。まずは国家である。万世一系等と言われ、1つの系統の王家(天皇家)がやや神話性を含むものの2千年続いているという意味で、実は日本は世界最古の国家なのである。また世界最短の文学は「俳句」であるし、世界最古の長編小説は紫式部の「源氏物語」である。また世界最長の小説もプルーストの「失われた時を求めて」ではなく、実は中里介山の「大菩薩峠」ではないかと密かに思っているのだがいかがなものであろう。そして日本は治安の良さで世界一であろうし、先に挙げたように人名の種類の数や食の種類の数も恐らく世界一であろう。さらに地形的に、樹木の種類の数や河川の数も世界一もしくはそれに近いような気がするのだがどうなのであろうか。

地政学的に見れば日本はどこかイギリスに似ている。両国とも海峡を隔てて大陸があり、大陸にはいつの時代にも強国があった。にも関わらず両国が全く異なる歴史を辿ったのは何ゆえなのであろうか。イギリスは、古代はローマ帝国、また中世の一時期にはデーン人の北海帝国に属し、その後ノルマン人がノルマン王朝を開くというように、中世まで他民族に支配される歴史を辿っている。またイギリスはイングランドウェールズスコットランド北アイルランド連合国家であり、長年スコットランドとは政争を繰り返し、北アイルランドとはついこの間までIRAとの間で血の抗争を繰り返してきた。一方日本は鎌倉時代元寇があったものの、他民族に支配される事なく2000年もの間天皇制という不思議な国家体制を維持し続けてきており、いわば純粋培養のようなガラパゴス的進化を遂げてきた国である。そんな単一民族国家であり続けてきたためであろう、治安のいい国として世界が認めており、世界の人が安心して訪れる事の出来る国という意味でインバウンドに最適な国になっている。俗に観光立国の条件に「気候」「自然」「食」「文化」が挙げられるが、日本は温帯地方に属しているため極端に寒くも暑くもなく、また先に挙げたように、自然が豊かで食も豊富、独特の文化を持ち観光資源も豊かと、観光立国の条件を全て満たした国なのである。

訪日外国人に日本に興味を持った動機を聞いてみると、アニメ、漫画を見てが圧倒的に多いが、その他アジア人では、テレビドラマの「おしん」を見てという声が多いのに驚く。「おしん」のどういった所に感銘を受けたのかはよく分からないが、それはそれとして、これら日本を世界に知らしめたメディアのいずれもが小説でも音楽でも絵画でもなく映像であった事が興味深い。そういえば一昔前、黒澤明とか小津安二郎溝口健二等の映画で日本を知り、日本に興味を持った外国人が多かった事を思い出すが、最近でも、某テレビ局の番組で外国人の知る日本人のトップに「宮崎駿」が挙がっているのを見たが、是枝裕和の「万引き家族」がカンヌ映画祭パルムドール賞をとった事などを考えると、やはり今後も日本の映画やアニメ、そして漫画は外国人にインパクトを与え続けていくのかも知れない。